Windowsを自動車に例えるのは妥当か?

欧州経済委員会が行っているMicrosoftの独占禁止法関連の調査とMicrosoftに対する制裁の記事がニュースになっている。今回は、Microsoftがメディア再生ソフトをMicrosoft Windows(以下、Windowsという)に同梱したことに関する問題である。この問題自体の是非を問うのはしばらく置いておくとして、以前から気になっていることに関して私見を述べたい。それは、Windowsを自動車に例えて、「WindowsにMicrosoftのアプリケーション・ソフトウエア(以下、アプリケーション)を同梱する」ことを「自動車メーカが自社の自動車に自社製のカーエアコンを最初から装備する」のと比較して是非を論ずる方法に関するものである。

数年前、米国でMicrosoftの独占禁止法違反の裁判が行われていた頃、日本の公正取引委員会の委員長が、このような論理構成に基づいて「MicrosoftがアプリケーションをWindowsに同梱するのは大きな問題ではない」と述べたとの談話を日経新聞の記事で見かけた。さらに、一週間ほど前、日経新聞の社説でも同じ比喩を用いて議論を展開していた。Windowsを自動車に例え、さらに、Windowsの上で動作するアプリケーションをカーエアコンに例える比喩は、ソフトウエアという目に見えないものを実際に目に見えるものに置き換え、しかも、車という身近な存在を使って説明するので、一見、非常に分かりやすく見える。

しかし、このような議論の仕方には根本的でかつ重大な問題がある。なぜかというとWindowsは、オペレーティング・システムであって、その上で動作するあらゆるアプリケーションにとっての共通の土台になっている。自動車がその内装機器に与える影響などとは到底比較にならない程、重要な役割を果たしているからである。現在、世界中には、Windowsの上で動作するアプリケーションが数万種類はあるだろう。Windowsは、それらのすべてのアプリケーションの生殺与奪権を握っているのである。

Microsoftの提供するパーソナル・コンピュータ(PC)用オペレーティング・システムは、過去に、MS-DOS、Windows1.0からWindows3.1まで、Windows95からWindowsMEまで、そして、WindowsNTから現在のWindowsXPまでというように大きな技術的な世代交代を遂げてきた。これを実現してきたMicrosoftの努力には大きな敬意を払う。しかし、一方でWindowsの上で動くアプリケーションを開発して商品を出す会社も、オペレーティング・システムの変遷に追随するために大きな努力を払ってきたのである。MicrosoftがWindowsの仕組みを変えてしまえば、その上で動くアプリケーションは動かなくなる。ソフトウエア会社の経営がそのアプリケーションの販売に依存しているならば、そのソフトウエア会社はたちまち倒産してしまうのである。当社も、過去に、MS-DOSの上で数年掛けて開発した商品をWindowsに移すことができずに販売終了したことがある。また、Windows3.1がWindows95に代わる時、主力製品が動かなく可能性があって、この技術的問題を調査、研究、解決するのに半年以上を費やした。幸いにして壁を突破することができたが、それまでは眠れない夜を過ごしたことを思い出す。なぜそんなに苦労したかというと、必要な技術情報が、必要なタイミングで提供されなかったからである。時間がたつに従って技術情報は増えてくるが、後になって入手しても間に合わないので意味がない。

もちろん、PC用オペレーティング・システムはWindowsだけではない。しかし、現在、デスクトップPCのオペレーティング・システムでのMicrosoftのWindowsのシェアは95%を越えるであろう。世界中で年間数千万台出荷されるPCの95%が一社の製品のオペレーティング・システムを使っているのである。しかも、その上に数万種類のアプリケーションが動いている。それらのアプリケーションもそれらを製品化するソフトウエア会社も、すべてMicrosoftに生殺与奪権を握られているのである。

こういう現状を正しく認識すれば、Windowsを自動車に例えるのが妥当な議論の筋道の立て方なのかどうか、ということは自ずと明確になりそうなものに思う。仮に自動車に例えるとしても、もし、世界中の道路を走る自動車の95%が単一のメーカ製の1種類の車種になったことを考えれば、そのことの恐ろしさに身を振わせるに違いないだろう。

2004年3月28日
小林 徳滋
koba@antenna.co.jp