オープンソースへの視点(1) 誰がソフトウエアのスポンサーか

ソフトウエアの開発モデルとしてオープンソースソフトウエア(OSS)が脚光をあびている。

業界情報紙を読んでいたら、11月14日には、情報サービス産業協会主催で、OSSの利用促進を目指す「日・中・韓オープンソースビジネス懇談会」が開催されたというニュースが掲載されていた。

こういう記事をみると、いつも頭の中に浮かぶのは、「OSSは本当にユーザの利益をもたらすのだろうか?」という疑問である。ユーザにも色々なレベルがあるが、ここでは消費者または一般のエンド・ユーザと定義して、この問題を考えてみたい。

一般になんらかの商品を開発、販売、流通している会社は必ずお客様志向を掲げるはずである。なぜかというと、商品を最終的に買って使ってくれるのはお客様である。そしてお客様に喜んでもらい、喜んで対価を払ってもらうことによって初めて会社の経営がなりたつからである。つまり一般の商品ではスポンサーはお客様なのであり、お客様の支持が得られなければ、一時的な成功ならともかく、長期的には継続できないはずなのである。

自由主義経済は基本的にはこの仕組の上に乗っている。つまり、商品の供給者と需要者が自由な市場で出会い、そこで商品の価格が決まると考える。私自身はソフトウエアのメーカの経営者としてそのような原則を信じて、市場でお客様に評価して頂けるような製品を出すために、ユーザの要望を聞き、より便利で使いやすい製品を供給しようと努力しているのである。

原理原則を一言で言えば「お客様が私達のスポンサーであり、多くのお客様に喜んでもらえるような製品は必ず発展する。」ということである。

しかし、オープンソース運動のスポンサーはお客様=ユーザではない。Apache Software Foundation などのような組織で運営しているOSSのスポンサーは、IBMやSunのような、製品供給側の企業が中心であろう。個人のレベルで行われているオープンソース運動であれば、開発者自身がOSSのスポンサーになっていることになる。つまり、OSSのスポンサーは、それを使うユーザではなく、供給側の企業もしくは製作者自身ということになる。

この構図ではユーザが市場で評価して選別するという力学が働きにくいのではないだろうか?もちろん、OSSにも沢山あり、OSS間での淘汰が行われることはあるだろう。しかし、OSSの淘汰は、ユーザの選別によるもの、というよりもスポンサーになっている企業の財務や経営方針、あるいは開発者の興味や関心の推移によるところが大きいのではないだろうか?つまり、スポンサーが、ある時、「もうこのOSSを支援するのはやめた」、といえば、そのOSSは、ユーザの意向とは無関係に発展が止まってしまうのである。

このような、脆い支持基盤のOSSよりは、顧客の支持の有無によって淘汰される仕組みのもとで提供される商用ソフトウエア製品の方が遥かに健全なものだろうと思うのだが、どうだろうか?

2003年11月30日
小林 徳滋
koba@antenna.co.jp